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大阪地方裁判所 昭和47年(わ)3618号 判決

本籍 三重県安芸郡美里村大字穴倉一五二二番地

住居 大阪市西成区鶴見橋一の七の一五中尾文化内

無職

稲垣浩

昭和一九年五月五日生

右の者に対する暴行被告事件につき当裁判所は検察官藤原藤一出席のうえ審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実は「被告人は、昭和四七年八月一六日午後六時五八分ころ、大阪市西成区甲岸町一〇番地先道路上においておりから同所を通行中の宮川幸夫(当二一年)および北田耕之(当二七年)の両名に対し、いきなり同所にあった水桶の水約一〇リットルをポリバケツで右宮川の前胸部および右北田の前腹部等にかけ、もって右両名に対し暴行を加えたものである。」というにある。

二、そこで検討するに、

(一)  審理の結果によると、右公訴事実をほぼ認めることができるが、さらになお次のような事実を認めることができる。すなわち

1、大阪市西成区内通称釜ヶ崎愛隣地区には従来から多数の日雇労働者が居住しており、同人らは労働者手配師の呼びかけに応じ個々に就労することが多かったため一部不良手配師に不当な取扱いを受けることもあったので、被告人は他の者らとともに右労働者らを結束させ不良手配師を追放し労働者としての権利を擁護させる趣旨の組織として暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議(略して釜共闘と呼称)が結成するに至っていたが、昭和四七年五月二八日右手配師と多数労働者との間に暴力的抗争事件が発生するや、これに端を発して一部労働者等により以後数日間にわたって連夜一般商店や車輛等に対する投石等の事件が発生し、ついで約一ヶ月後に右抗争事件に対する警察の検挙活動が開始されるやこれを契機にさらに数日間にわたって連夜前同様の投石事件のほか所轄西成警察署前も多数集まり検挙の不当を叫んだり警察官に投石するなどの行為が繰り返された。同警察署は右警察に対する集団的な抗議行動および投石事件は前記釜共闘の煽動によるものとの状況判断を下していたところ、さらに同年八月一三日から三日間同地区内三角公園において右釜共闘が主催し多数の労働者を集め盆踊り、すもう大会等を予定した「夏祭り」と称する行事が開催されることになったので、同警察署はこれを契機に再び多数の労働者と労働者手配師とが対立し、あるいは警察その他行政公共機関に対する集団行動が行われ不法事犯に発展する事態となることを予測し、右期間中これらの予防鎮圧等を目的として同警察署に警備本部を設置し、同警察所属の警察官および応援の大阪府警察本部機動隊員を制服または私服で適宜地区内各所に配置し、特に私服警察官に対しては情勢報告および不法事犯を煽動するなど不穏な行動をとるものに対し監視警戒に当たり不法事犯についての警告、制止、検挙等の警察活動に当たるべきことが指示された。

そして右「夏祭り」第一日目の同年八月一三日夜右翼団体員が前記三角公園に押しかけ、また第三日目の同月一五日夜には同公園内において警備のため配置された警察官に爆竹を投げつけるなどの事件が発生し、それぞれ検挙者が出たところ、同一五日夜前記釜共闘幹部らのほか多数の労働者が前記警察署に不当逮捕である旨の抗議行動をなし、その際一部労働者が同署前で空罐を投げつけて検挙され、さらに商店街に移動し投石して五、六名検挙される事態が発生した。

前記警備本部は右検挙活動を契機にさらに引き続き同様の集団的抗議行動や商店街に対する投石などの事件が発生するものと判断し翌一六日も警備活動を継続実施することとした。

2、右一六日大阪府警察本部第一機動隊第二分隊(分隊長上杉輝人巡査部長)は応援部隊として前記警備本部の指揮を受け分隊長のほか北田耕之巡査および宮川幸夫巡査ら総員五名の警察官で午後五時三〇分ころから前記三角公園北東隅付近で周辺の警備活動に従事していたところ、被告人を含む一〇名位の者が同公園内に至り、同公園内にいた多数の労働者らに対し「今日も一暴れしよう、仲間を取り返そう」と呼びかけながら釜共闘名下に同趣旨を記載したビラを配付しているのを現認したので同人らの行動を監視警戒する必要があると判断し、間もなく同公園を出て北行し西成警察署方面に向った同人らの後を尾行した。同人らはさらに同警察署前の道路上に集っていた六、七〇名位の労働者に対しても同様の呼びかけを繰り返しながら前記のビラの配付を続けた後、そのうち被告人を含む五、六名の者が同警察署前から北に向け進行をはじめたので同警察官らは引き続き同人らの動向を監視警戒すべく同人らの後方から約一五ないし二〇メートルの間隔をあけて尾行を開始した。被告人ら五、六名は同道路を北行し、間もなく左折西行して南海電鉄高架下付近にさしかかった際前記警察官によって尾行されていることを知り停止して同警察官らに対し「お前らポリ公やろ、何で後をついて来るんや、帰れ帰れ」と申し向けて抗議したが、前記上杉分隊長は職務上の行為である旨を告げてこれを拒否した。被告人ら五、六名の者はさらに足早やに前記高架下東側道路に出て右折し北進をはじめ、右警察官らも北田、宮川両巡査を先頭にして一団となり被告人らの後方数メートルの間隔で尾行を再開したが、約一五メートルほど進行して同区甲岸町一〇番地先付近に差しかかった際、先行する被告人ら集団の先頭部付近に位置していた被告人が道路西側に置かれていた水桶に走り寄り水面に浮いていたポリバケツで水桶内の水を汲み上げるなり至近距離に接近して来た同警察官めがけてバケツ内の水を勢いよく放ち先頭部にいた前記北田巡査および宮川巡査の身体前面に浴びせかけるや、直ちに踵をかえして北に走り去ったが、右宮川巡査に追跡され公務執行妨害の現行犯として逮捕された。

3、以上認定事実のうち、被告人らに発見された後の段階における本件警察官の尾行間隔ならびに被告人の撒水行為の際の北田、宮川両巡査との間の距離関係および撒水状況とその結果については本件証拠上関係者の供述の必ずしも一致していないところである。

しかしながら先に認定したとおりの当時の被告人らが抱いていた警察官に対する対立感情や、警察官に尾行されていることを知った被告人らが立ち止って同警察官らに申し向けた文言などからすれば、被告人側において本件警察官に対し極度の敵対意識を有していたことは容易に推測できるところであり、従ってさらに接近して尾行を継続する本件警察官らに対してとった本件撒水行為が、激怒感情に基く異常状態下の突発的体験事実であったであろうこともまた推認できるところである。また警察官側においても本件尾行行為を発見され、かつ激しく抗議揶揄されたという異常事態直後の突発的な体験事実であり、双方とも殆ど近接した位置間における瞬時の間の出来ごとであっただけにそれぞれの供述に相違するところがあるのも当然の結果といわなければならない。従って、前記の激怒感情下での警察官に向けられた撒水でありながら警察官にかける意図はなくその手前に撒水したとして冷静な状況判断下の行動をとったように説明する被告人の供述も不自然であるし、また右供述に沿う証人植田種彦、同田辺光雄、同坂本和邦の供述部分は措信できない。むしろ先に認定した本件撒水行為の原因、動機および近接した距離関係ならびに直後の本件警察官と被告人の行動を総合すれば、証人北田耕之、同宮川幸夫、同上杉輝人の供述中本件撒水行為が、前認定のとおり数メートルの間隔で尾行中先頭部に位置した北田、宮川の両巡査の身体前面に浴びせかける程度にまで及んだものとする部分は信用できるものと認めるのが相当である。そうだとすれば、被告人の本件撒水行為は右両巡査の身体に対してなされた有形力の行使行為であり、暴行罪を構成する可能性のある行為といわなければならない。

(二)  つぎに、本件北田、宮川両巡査らの尾行行為の適法性について考えてみるに、右両巡査らの行動は前認定のとおり現認した被告人らを含む一〇名余の者の言動から同人らが多数の労働者に集団的不穏行動に出ることを煽動するやも知れないことを予測しその行動を監視警戒するため(かかる事態を現出すれば未然に説得、警告し、あるいは制止等警察官職務執行法第五条所定の事実行為などに出、もって犯罪の予防および鎮圧に当たる意図であることは容易に推認できるところである)当初被告人らに気付かれない時点においては約一五ないし二〇メートルの、次いで被告人らに気付かれ抗議されてからは数メートルの至近距離の間隔で後方を尾行したものであり具体的事案の発生を予測しその予防鎮圧を目的とした情報収集活動に当たったものと理解される。

ところで、警察法二条一項が「警察は個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもってその責務とする。」と規定しているところから警察官の職務が公共の安全と秩序の維持にあることは明らかであるが、その目的を遂げるための犯罪の発生の予防および鎮圧に備えて必要な範囲内で各種の情報の収集や監視行為をなすことも必要欠くことを得ないものでありその職責の一つといわなければならずそれらの行為は警察官の事実行為として同条項の予定するところと解する。(警察法は組織法であり警察官に具体的権限を付与するものではないとの見解が存するが、当裁判所は同法は警察官の権限行使の一般的根拠を定めたものと解し、右権限行使に当り強制手段に出る場合は他の権利、国民の基本的人権に抵触し、あるいはそのおそれあるにより法律条項によってその根拠を必要とするものであり、反面右権限行使に当り何らの強制手段に出ないならば、そうして本件の場合の情報収集活動も任意的手段による場合には同法を根拠として行使され得るものと解する。)

しかし、同法二条二項によれば、職責の遂行に当っては憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等の権限の濫用をいましめているところから右のような任意的手段による情報収集活動のすべてが適法となるものではなく、本件のようにいまだ犯罪が具体的に発生していない段階における情報収集活動にあっては、目的が前記警察法二条一項の定める目的と合致して正当であり、かつ、客観的に必要性の認められる状況のある場合に限定されるものであることは勿論であるが、当該活動により結果的にその対象者の自由意思に影響を与えその自由な行動を制約するような法益侵害を伴うことはその必要性を認める法益との権衡の面からいって到底許され得ないものである。

本件における北田、宮川両巡査らの前記尾行による情報収集活動、特に被告人らに気付かれ抗議された後の当該活動は、客観的にそれ以前の状況と全く変化がないにも抱らず被告人らの後方数メートルの至近範囲内で右両巡査ら五名の一団となった警察官により行われたもので被告人らに当該尾行状態を明らかに意識させ、その自由意思に影響を与えその自由行動を制約する結果を招くものであり、前記の理由からその尾行行為は違法であるとの評価を免れない。

(三)  そこで前認定の暴行罪を構成する可能性のある被告人の本件撒水行為が、右のような本件警察官らによる自由意思と自由行動の侵害行為を排除するためになされた可罰性のないものであるかどうかについて判断する。

被告人は、本件警察官の尾行行為を抗議し中止させるため本件撒水行為におよんだ旨供述しているが、一般的に言って撒水行為そのものは前記侵害行為を中断、排除させるために適当する行為から程遠い行為であり、また、多分に怒りと侮蔑の意味あいを持つ行為であると理解されるものであるうえ、既にそれ以前の口頭による抗議が拒否され引き続き尾行状態を続けられた直後の行為で、その行為後直ちに現場から脱出しようとした事実のあることからすれば、本件撒水行為におよんだ被告人の意図は同人も自ら一部にその意図があった旨自認しているとおり本件警察官の行動に抗議する意図の存続していたことは否定できないものの主として先に認定したとおり本件警察官の執拗なまでの尾行行為に怒りを抱きとっさにその腹癒の意図から出た行為であると認められるところであるから、かかる事実関係からすればこのような行為に出るほかに適当な方法がなかったものとは到底断じ得ず、従って刑法三六条にいう「已ムコトヲ得ザルニ出デタル行為」に該当するものというを得ない。

しかし右撒水行為が、その直前にした口頭による抗議にもかかわらずなお尾行行為を継続されたという一連の過程の中の行為であることからすれば、なお抗議行為の一環として位置づけられるところであり、その観点からすれば右撒水行為の意図をもってあながち不当であると断じきれないものがあり、その行為も情況上突発的な一回限りの行為であって、成り行き上招来される事態としてはむしろ軽度の実力行使に終ったものというべく、さらに右撒水によって濡れた本件警察官の衣服も着替えないまま短時間で乾燥する程度のものであったことからすれば、それ以外に被る不快感あるいは名誉失墜感などの心理的苦痛を考慮してもその法益侵害の程度は被告人らにおいて被った法益侵害に比しむしろ軽微なものであると認めざるを得ない。

以上の諸点を総合すると、被告人の本件行為は刑法二〇八条に外形上該当するとしても法秩序全体の理念に照らし同条の暴行罪によって処罰しなければならない程の違法性を具備していないものと認められる。

(四)  結局被告人の行為は違法性を欠き罪とならないものと認むべきものであるから刑事訴訟法三三六条に則り無罪の言渡をすべきものであり、主文のとおり判決する。

(裁判官 山田敬二郎)

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